JA | EN
植藤造園
桜シリーズ
2013.5.31

継ぐ

梅雨に入り、今日は雨間。一日カラリと晴れた一日となりました。
桜の種が色付き、今年も種を集める時期となりました。
種を育てること、接ぎ木すること、そして代を継ぐということ。
全てが繋がっているように、感じるようになりました。


去年は種付が悪く、全く収穫出来なかった種。
今年は取れるだけ取るよう、会長から指示がありました。
一昨年と比べると今年も少し、種付は悪いようですが、
(取り過ぎに気を付けて)ぼちぼちと種取りを行っています。
一昨年と去年、種の採取から育った苗の成長記録をブログで紹介しました。

( 関連ブログ 
『胎児と幼児』、『播種-hashu-』 、『ぴょこぴょんと春を告げる』 、『いちねん』、『苗のお引越し』 )
なので、今回は接ぎ木について書こうと思います。
(※接ぎ木(ツギキ):同品種の樹木を栽培するためにとられる手法。台木に挿木することで行う)
今年の3月、会長は弥彦(ヤヒコ)という桜の接ぎ木を行いました。

弥彦桜は上の写真のように、2段咲の桜です。
咲ききれば真っ白な鞠状の花となります。
この桜は原木と弊社の桜を併せ、日本に2本しかない桜であると、会長から聞いておりました。
しかし、弊社の桜が最早寿命で朽ちてきていてました。
会長は「弥彦を、接ぎ木せんとなぁ」とずっと気にしていましたが、出張が立て続き、
ようやく今年の3月末に接ぎ木が行われました。

まず、会長は藁を石の上で叩きはじめました。
「原始的なやり方やけど、これが一番ええんや。」


やかんに入れた水を口に含ませ、藁にかけながら、叩き、藁を柔らかくさせています。
藁の準備が出来たところで、会長は弥彦桜のもとへ、接ぐ枝を貰いに行きました。

「よろしくたのんます。接がせてください。」
と木に拝み、 2、3本の枝を切りました。
そして予め準備していた苗圃へ行き、台木(ダイキ)となる木を切っていきます。

(※台木=接ぎ木する枝の根となる木のこと。)
会長はこの台木を去年の2月頃から準備していました。
一年かけて台木の根はしっかり張ったようです。
その台木を切り、接ぐ枝を差し込み、先ほど叩いていた藁で巻いていきます。

この藁を、現在はビニール紐やビニールテープで巻くことが多いそうです。
効率的には良いのかもしれませんが、成長すると根が締め付けられてしまいます。
根が締め付けられると、木全体が弱くなってしまします。
藁は自然のものなのでそういうことはない、と会長が教えてくれました。
私たちが如何に不自然な生き方をしているのか、考えさせられます。
作業を行いながら、会長は
「ついてくれよ~」 「がんばってくれよ~」
と弥彦の枝と台木に向かって話していました。
最初はなんだか不思議な光景でしたが、思い返せば会長はいつも桜に対して話しています。
木の語源はいくつかあるようですが、「生きているもの」の「生(イキ)」の上略という説があります。
私はこの由来が一番好きです。
生きている木には、木なりのリズムや気持ちがあって、人と木の中にも信頼が生まれるのかもしれません。
会長は色んな話の中で、「お互いの信頼関係があってできること」
という話をよくされます。
私たちが生活している、全ての中に信頼関係が生まれるとしたら、
不思議な、優しい気持ちになれます。
さて。会長が接いだ弥彦は、いま。
葉をつけて頑張っています。

木なのに横ばいに育っていますが。
この種類はどうも、こういう癖があるようです。
いずれにせよ、会長が「弥彦がついてくれた、もう大丈夫や」と言うので、大丈夫なのでしょう。
会長は枝を切るときに「頼みます」と祈り、木を接ぐときに「頑張れよ」と願い、
問題ないと見極めた時に「ついてくれた、もう大丈夫や」と安心されました。
会長曰く、「木は子供と一緒や」そうです。
継ぐというのは、そういうことなのかもしれません。
祈り、願い、安心し、見守り、問題があれば力を添える。
そうやって木と関わり、人と関わり、苗を育て、子を育ているのでしょうか。
海外で育った私には、ぼんやりとしか感じられていないのですが、
代を継ぐ、というのはそうやって行われるものかもしれません。
私から見ると、会長の根はとても深く、広く張っているように見えます。
「今は全てがむちゃくちゃになっている。みんな一人ひとり勝手すぎる。
お互いが関わらざるを得ないんやから、ちゃんと関わらなあかん」
継ぐ、というのは関わる、ということと、とても密接な関係にあるのかもしれない。
そんな風に思った、梅雨の雨間の今日でした。
(株)植藤造園 設計 ブログ担当者

PAGE TOP